思い描いてみてください。
 もし、自分と周囲の人の関係が一気に崩れ去るとしたら。何年もかけて築きあげてきた様々な、物が意味もなく、何の代償も得られずに奪われたとしたら。
 悲しさと寂しさと絶望と孤独と愛しさ。
 あなたは耐えられますか?
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 俺は布団の上で目を覚ます。
 畳の良い匂いがする。隣に誰かが寝ている。そうか、父さんと母さんと、それから兄弟。目をつぶっていてもそれくらいは感じられる。
 長い夢を見ていたような気がする・・・。そんな不思議な感覚・・・
 ん?布団?畳?
 待て待て、俺はどこで寝ているんだ。そうか、お爺ちゃんの家に来ているのか・・・いやそんなわけがない。まさかそんな予定はなかったし。俺は目を開ける。そこには見慣れた天井が、懐かしい天井がある。
 っん!?
 俺は布団から飛び起きて周りを確認するそこには見慣れた押入れと、箪笥と窓の外の風景・・・。まだ暗い夜空、やけに明るい街灯。そして、家族。
「待て待て、どういうことだ・・・」
 俺の胸に焦燥感が溢れる。
「どういうことだ」
 俺の胸に恐怖感が募る。
「何で?」
 何がどうなっているのか理解できない。
 俺は寝室を飛び出しリビングルームへ。
 そこには見慣れたテレビ、使い慣れたテーブル。大好きなパソコン、今は冷たいが暖かいカーッペット。花瓶に刺さった花。つまりは・・・。
「どうして、どうして俺はここにいる?」
 理解できない状況。全く予想外の状況。当然であるかのようにそこにある日常。だからこそ異常であり、混乱を招いている。
 俺はテレビの上においてある新聞を手にした・・・。そう、こういうのはドラマとかで良くある。客観的なもの、新聞だ。
 俺はゆっくりと、混乱を沈める目的に。恐怖に苛まれながら、ゆっくりと、ゆっくりと覗き込む。
「・・・・・・2002年6月12日・・・・・・・・・・・・・・・」
 まさか、まさかではあるが。そんな事が・・・
「4年前だ・・・・・・」
・・・・・・・・・あっていいはずがないだろうが。

とりあえず気を落ち着かせるために、テーブルに座った。どうやら、俺はなんだか面倒くさいことになったらしい。
どうしたんだ。何で俺は引っ越す前の家に居るんだ?そして何で過去の新聞がまるで当然であるかのようにテレビの上に乗っているんだろうか。
本当に本当に今日が2002年だというのか。
昨日の事を思い出してみる。家に帰って俺は何をした?
鞄を置いて、どうしたんだ?
・・・思い出せない。
くそっ!なにがどうなってんだ。これじゃぁまるでホラーじゃないか。恐ろしい。
とりあえず電気をつけてみた。チクショウ。何だ誰か助けてくれ・・・
俺は頭を腕の中にうずめる。どういうことだ。まったく。訳が分からない。何をしたらいいんだ。
この感覚は前にもあった、悪夢だ。全く抜け出せない世界に閉じ込められるんだ。暗くて広い部屋に閉じ込められて、ループして終わらない計算式を延々と解かされ続けるんだ。書くものなんか全くないから指を切って自分の血で書いているんだ。そんな恐ろしい悪夢とそっくりだ。
そうだ、きっと俺は夢を見ているだ。
こんな夢もあった。誰も居ない家のリビングに一人ぼっち。テーブルには一本だけ花瓶が置いてある。そう、今のように。部屋は暗いが、薄明かりの豆電球だけが点灯している。恐ろしいので隣の部屋に移ると、突然クローゼットが開き、たくさんの手が俺を引っ張り込む。そして気付くとまたリビングルームにいるんだ。どの部屋に行こうとしても同じ。廊下に出れば、花子さんが俺をトイレの中に引きずり込もうとする。さすがにトイレは嫌なので、必死に逃げ切ったが子供部屋からたくさんの人形が出てきて俺を引きずり込む。そうするとまた、リビングに戻っているんだ。永遠に抜け出せない夢。どうやって抜けたかは覚えていない。
そういう夢なら、そのうちに抜け出せる。きっとそうだ。止めてくれよ。でもやはりこの感覚と冷静さは現実だよな・・・。
ああぁ。
そうだ待っていればそのうちどうにかなるさ。きっとそうだなんとかなる。そういうこった。

そして俺はそのまま眠りに落ちていたらしい。
目が覚めると母さんがどたばたと廊下を歩いている。
そうだ、昔はこんな感じだったな。
「春雄、なんでそんなとこで寝てんの?」
 母さんが起きた俺に対して話しかけてくる。
「いや、ちょっと早起きしちゃったから」
 嘘をつく癖まで戻っている。せっかく何事にも正直な性格に直したのに。
「早く着替えなさい。」
「はい。」
 なんだかどうしようもないのでここは成り行きに任せる事にした。
 ちょっと待て、つまり俺はこれから小学校に行かなければ行けないのか。そんな、馬鹿な。
 そう思って母から洋服を受け取る。
 そうだ、この時は毎朝親が洋服を用意してくれていたのか。全く情けないもんだ。高校生になった俺も、ワイシャツは毎日アイロンをかけてもらっている。というか、自分でやっても絶対に認めてもらえない。自分でアイロン掛けをしてきていると、「お前はやるなやり直すから脱げ」と言われる。逆らえない俺もいるわけだが。
 俺は洋服を着る。なんかはっきり言ってダサい。着たくないが、仕方ない俺がどうあがいた所で俺は小学生なのだ。
「そうだ・・・。顔洗わなくちゃ・・・。」
 と呟いたものの、俺はこの歳の時は顔を洗う習慣なんてなかった。だからとりあえず洗わない。
 そういえば、顔ににきびがひとつもないということは、身体的には小学生と言う事か。見た目は子供、頭脳は・・・ってそんな簡単に片付けられる話ではない。
 てか、突然息子が高校一年生になっていたらさすがに気付くだろう。当たり前だ。つまり、俺の体力も全然ないということか・・・。腕立ても二回が限界という事か。腹筋は150回以上は余裕という事か。
 朝食はトーストであった。なんだか、これ以外メニューはありえないような。定番だ。
 意外と母親との会話も少ない。真ん中の弟が起きてきて着替えている。変わっている明らかに今とは違う。かわいらしさがまだ残っている。
 つまり俺もそんな感じということか。
 パンをすぐに食べ終え、洗面所に向かった。鏡を覗き込んでみるとそこには、今と変わらないかっこ悪い俺の顔があったが、どこからどう見ても子供だった。これが俺なのか。
 そういえば、一人称はまさか俺だったかな。何時から俺と、僕を使い分けるようになったのだろう。
 分からない。とりあえずこれからは、第一人称は僕で行こう。多分不自然ではないだろう。
 まずい、段々分からなくなってきた。この頃の歳の俺はどんなアイデンティティだったのだろうか。思い出せない。
 確か6月ならとっくにアニメオタク的な最盛期だったはずだ。この当時の俺は、ボーボボのオーバー編から現在まで全部暗唱できたはずだ。きっとビデオテープがるはずだ。
テレビのところに行ってみる。まだ、DVDを買ったばっかりだからビデオテープが山積みになっている。
そんな事をやっている場合ではなかった。学校に行かなければ。何時に出ればいいんだろう?
学校からここまでは、何メートルだったか。確か10秒で着けばオリンピックに出られる距離だった。学校まで毎日走っていたっけ。まぁいい一分あれば絶対に着く。
八時ごろに始まるんだったけな。そうだ、時間割を見れば分かるではないか。俺はテレビを離れて自分の勉強机に向かう。弟は着替え終わってトイレに入っており、母さんは台所で弟の分のトーストを作っている。
自分の机の上にはコインや本が置いてある。教科書が山積みになっている。今も昔も変わらない。後ろには大きな本棚が整然と立っている。こんなに多くの本がある家は珍しい。それは、中学生になってから知った事だ。
時間割を見る。8:30全校集会・・・。
そして重要な問題に気付く。
「2002年6月12日って何曜日だよ・・・・・・」
そんな事分かるはずがない。だいじょうぶだ焦る事はない。小学生のときは曜日感覚、日付感覚がなくて困っていたではないか。親に聞けばいいのだ。
俺は大声で叫ぶ。
「今日何曜日?」
声が届いてないらしい。台所に戻る。
母さんはいない。だが冷蔵庫にカレンダーが貼ってあった。
「今日は・・・。水曜日か」
また戻って水曜日の時間割をみる。
「図工、図工、体育、算数、国語、生活か。」
 これで準備ができる・・・。
「って、何をもっていけばいいんだよ!」
分からない。分からないぞ。
これはピンチだ。算数のノートと教科書。算数ドリルと漢字ドリル。国語のノートと教科書。体育着とせいかつの教科書。図工は何も要らないだろうか。そうだ、連絡ノートがある。取り出してみる。
名前は連絡帳だった。今日はなんと書いてあるか開いて見てみる。何も書いてない。最後に書いてあるのは一週間前だ。その前を見てみる、相当まばらである。俺は・・・ではなく僕は全く律儀ではないらしい。忘れていたものが甦る。
「仕方ない。そんな事を気にする性格ではなかったはずだ。」
そうだ、小学校のときの俺の感情なんてもう覚えてやいない。思春期を過ぎた俺は・・・じゃなく僕は何度も世界観が変わっている、今更原版を取り戻そうなんて無理な話だ。
しょうがない、体が俺なんだから誰も気に止めないだろう。じゃなかった僕のことなんて誰も気にしちゃいないさ。
そろそろ出たほうがいいな。そろえた荷物をランドセルの中に詰め込む。ランドセルなんて何年ぶりに被くのだろうか。本当に懐かしい、というよりかはやっぱ違和感の方が強いか・・・。
「よし、行くか。」
俺は、じゃなくて僕は玄関に向かう。
ん?なんか昔は毎日見送ってもらっていたような気がするな。こんなのが俺だっ、間違えた。僕だったのだろうか。どうなんだろうか。まぁいい。突然利口になった小学生というのもまぁまぁ面白いじゃないか。
玄関に行って靴を履こうとする。
靴?
俺は・・・ではなくて僕はどんな靴を履いていたのだろうか。分からない。靴棚を開けてみてみる。確か一番下にあったと思うが。あ、違った違った。もう外に出ているんだ。この青と白のスニーカーだったと思う。サイズが合っていれば俺のだろう。じゃなくて僕のだろう。25か。いまじゃ27.5だからな、随分成長したもんだ。
サイズは合っている。多分僕のだろう。
「いってきます!」
僕は家の中に向かって叫ぶ。
「いってらっしゃい!」
そう叫び返される。こんなものだっただろうか。分からない。覚えていない。でもそうなんだからそうなのだろう。
僕は玄関の今とは違う鍵を回して、重い鉄製の扉を開ける。
外に出ると、朝の日差しがまぶしく目に染みる。ここは三階である。少々大きめの段の階段が下にのびている。そこをトントンと、一段ずつ衝撃を和らげながら降りていく。
懐かしい。本当に懐かしい。戻れないはずの日々に戻っている。
そういえば、この現象についての検証を忘れていた。どうしてこんな事になったのか。全く心当たりなどない。第一ありえない。なんかのドッキリでも体の形まで変えることは不可能だし、それにそんな事をする意味はない。やはり科学的な何か。超常現象としか考えられない。そしてこの世界は現実なのか妄想(パラレルワールド)なのかどうか。現実だとすれば4年前の意識が一気にこの時間まで飛んできたと考えるか、僕は激しい未来予知をしているということになる。もしここが現実世界ではなくパラレルワールドだとするならば、それは自発的なものか干渉的な何かか。どちらにせよ、ここは現実世界ではないのだから抜け出さなくてはいけないということになる。
「どちらにしても全く、困ったもんだ」
正直、いつもタイムスリップができればいいなとか考えていたが、戻る手段がないようなら絶対にしたくないということを今痛感した。
つまり、僕はまだ神崎さんにもレモンにもキョンにもあっていないという事なんだよな。
そう考えると、俺の心に熱い何かがこみ上げてくる。
そう、今のこの世にはそんな関係性は存在していないのだ。




おわり
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