第二幕「突撃」
東:「つまり世界は無限に分岐していて、そこを横に移動するという幻想は存在しないんだよ。」
列車の中で東はアオダイショウに懸命に説明をしていた。
東:「分かりやすく言えばパラレルワールドという概念なんだけどね。この世界は時と共に常に書き換えられているメモリーなんだ。だから基本的にはそのメモリーがふたつ存在しない限り、パラレルワールドなんてものは存在しないといえる。」
蛇:「貴様は平行世界より格段に難題である『時間』の操作が可能と信じて止まないのに、そういう理屈をこねるのはいささかおかしな話だとは思わないか?」
東:「まぁそのレベルの基準は分からないけど、俺は時間の操作をしようとしたわけじゃないなんだよ。あくまで過去の時間を現在に再現…つまり上書きしようとしたんだ。それは非常に限定された世界の話で、自分以外の全てが変化するわけじゃない。それに顕在化にはそれに見合った現在の物質が必要だし、同時に情報であるキーと人間のイメージがその過去を定義していくんだ。だから決して過去がそのまんまというわけにはいかない。」
蛇:「まったく。そげなこと出来るわけないだろう。いい加減現在の自分の意識の状況を認めろ。貴様は失敗したのだ。」
東はそこで黙り込んだ。
突然のととと志貴の死に正気を失って過ごしてきた東だったが今は何かが違った。何処かで何かが止まっていた。
蛇:「まぁとにかく貴様は意識を回復する方法を模索するのだな。この世界・・・つまり自身の過去を打ち壊す方法をみつけるのだな。」
東:「自分の過去・・・」
一言呟くと窓の外を眺めた。
目が覚めると列車の中で、蛇がテレパシーか何かで話しかけてくるというこの状況をなぜだか自然に思っている自分がいることを不思議に思った。
そのとき――――――――
:「お前ーっ!いい加減観念しろ!」
突然車両の端のドアが開いて人が入ってきた。
そいつは後ろ向きに歩いていた。そして手には長い剣があった。どうやら臨戦態勢らしい。随分と派手な服装だった。否、派手というかそれはヨーロッパの貴族の衣装であった。そんな奇抜な服でありながら東はその服に見覚えがあった。アレはそう・・・。
東:「ツウェル子爵・・・?」
マイア:「誰が引き下がるものですか。この下種野朗!」
後ろ向きの子爵と向き合うように入ってきたのは、茶色い皮の服を着た女だった。手には短剣を持っていた。
マイア:「人を見下したようなことをするんじゃないよ!私たちだってちゃんと目的を持って生活してんのよ!なにが『席を空けたまえ』よ。あーもう許せない。切り裂いてやるわ。」
そんな物騒なことを言いながら。マイアはツウェル子爵ににじり寄る。
ツウェル:「君たち。いい加減にした方が身のためだ。この私に敵うとでも思っているのか。私は貴族だが、剣には磨きをかけているのだ。お前のためにもここは謝れば許してやる。」
ツウェルは別にこけおどしでそんなことを言っているわけではなさそうだ。彼は健康で、体力のありそうな体つきをしているし、何よりまだ若いマイアに比べればずっと体がでかい。
マイア:「うるさいわね。さっきから下がってばっかりの癖によく言うわよ。」
マイアは全くひるむ様子もなく、ただジリジリと間隔を詰めてゆく。細い長剣に対して、短剣で挑んだので下手に間合いを詰めることも出来ないのだろう。
東:「・・・コレはどういうことなんだ?」
マイアは丁度東の席の真横まで来ていた。
自分が昔書いていた漫画のキャラクターが目の前にいる。東はそれを唖然と見つめていた。それは当たり前のようにそこに居たが、それでも彼は不思議に思わざるを得なかった。
―パラレルワールド―
さっきの自分の言葉が頭の中に浮かんできた。そう、まさしくコレはパラレルワールドであった。
ツウェル:「君、本当に後悔するよ。まぁ私もここまでくるとしつこ過ぎるかなという気持ちにはなるな。本当は女性と戦うのは好きじゃないけど、そっちがその気なら仕方ないな。」
マイア:「やっとやる気になった。女だからとかは関係無いわ。私はあなたをこてんぱんにしたいだけ。」
本当に血の気の多い女だった。
均衡を破ったのはツウェル子爵だった。
一歩踏み込み、軽く腕を回してマイアの胴のあたりを打つ。マイアは咄嗟に後退し、その剣を避けた。
ツウェルの剣は東たちの座席に触れるかどうかのところで引き返し、また構えの体勢にもどった。
なるほど、やはりツウェルは腕はいいようだ。この狭い列車のなかで見事に長剣を使いこなしている。
ツウェル:「下がりましたね」
ツウェル子爵は小さく笑い。終わらせましょう、と続けた。
長剣が今度は縦にマイアの体を切ろうとした。マイアはまた後ろに一歩下がったが、今度は振り下ろされた挑戦に短剣をすばやくあてがい、押しのけるようにして間隔をつめた。しかし、ツウェル子爵はすばやく剣を回転させ、マイアの方へと向ける。マイアはそれを剣で受け止めている。
二人は手の届く距離になった。お互いが剣で押し合い、力比べをしている。しかし、マイアは完全に力負けしていた。
マイアはツウェルにグッと力を入れてから、一気に後ろに下がった。しかし、それはまだツウェルのリーチの中であった。長剣がすばやく振るわれ、マイアの短剣はあっけなくとばされた。
放物線を描いた短剣は、東の座席の横にぐさりとささった。
カンベンして欲しかった。
ツウェル:「勝負はついたようですね。」
また、かすかに笑う。
マイア:「まだよ」
マイアは静かに言った。そして何も武器を持たないまま、ツウェルに突っ込んでいった。
ツウェル:「愚かな」
軽く剣を振り、マイアの首もとを狙った。
すると、ガシッとマイアは剣を素手でつかんだ。素手ではなかった。手袋をつけていた。
ツウェル:「なにっ!」
マイア:「冒険家をなめんじゃないわよ!」
マイアの拳はツウェルの顔面に向かって伸びた。
が、しかし・・・
その手はジップが捕まえていた。
マイア:「ジップさん何してるんですか!?」
アクセル:「それはこっちの台詞だ!」
さっき二人が入ってきたほうの車両から、アクセルが入ってきた。
アクセル:「ちょっと貴族に話しかけられたくらいで決闘を申し込む馬鹿がどこにいる。しかもほとんど無理矢理。」
マイア:「だって、こいつが偉そうなんだもん」
アクセル:「貴族なんだ偉そうで何がわるい。お前のほうがよっぽど偉そうだ。」
マイア:「・・・・・・・・何がいけないっていうの。先にけんか売ってきたのはあっちよ!」
マイアは熱くなって怒鳴る。
アクセル:「そういう問題じゃないだろう。こんな列車の中でみんな迷惑してるんだ。落ち着け。」
マイアはしばらく静まった後、一気にまくし立てるように言った。
マイア:「じゃあ、黙ってみてろって言うの?こいつの言った事覚えてる?汚らしいとか邪魔だとか言ってきたのよ。どうして冷静にいられるの。どうしてコイツの言うことを許せるの?」
アクセルは黙って聞いていた。
マイア:「いい加減離してよ!」
マイアはジップの腕を振り解き、列車のもと来たほうに歩き出した。
扉のところで、振り向いた。
マイア:「信じられない!馬鹿っ!」
そういって、隣の列車にかけていった。
紗江子は雑誌を閉じた。
前から読んでいた漫画を、少年院に入った今も読み続けている。
登場人物を全員殺してしまっていた、最初の頃にくらべ随分と面白くなってきたことに作者の成長を感じた。
「昔は、それでもみんなで回し読みしたっけな」
もっとも、昔といってもまだ4ヶ月程度しか経っていないのだった。本当に一瞬のようだった。
この少年院では何もなかったからこそ、時間の経過が感じられないのだろう。
ここで紗江子は特に仲間を作ることなく、日々『教育』を受けてきた。別にそこまで重大な犯罪でもなかったので、重度の犯罪者がいる場所ではないし気は楽だった。
今は日記の時間だった。本来ならこんな漫画など読ませてはもらえないのだが、なぜかここではそれが許されていた。それは、あの人のおかげだった。
「何をしているんだ」
その人は良く紗江子の机にやってくる。
「日村教官」
「日村先生と呼べ。」
紗江子は黙って日村を見つめた。
「そんなものを読んでいるんじゃない。今はその時間じゃないだろう。」
「じゃあ。いつ読めるんですか」
紗江子は静かにその挑発的な発言を発した。
「そんな時間はない。他の人はみな我慢しているのだ。お前だけ目だってそんなことをされると風紀が乱れて困る。」
「すみません。」
そう、彼はこうやっていつも紗江子を諭すのだが決して取り上げたり、禁止しようとしたりしない。これが優しさでなく何であろうか。甘さか。
ここでは、余計な時間、余分な行動は一切存在しない。だからこうやって日記の時間を割いて読んでいたのだ。
朝から晩まで教官に監視され。そうでない時間もお互いを監視しあっている。一人の時間は夢の中だけだ。
「早く書いて寝ろ。明日は本格的にジャガイモ畑の整備に入る。早めに寝ておけ。」
「はい」
紗江子はおとなしく彼の言うことにうなずいた。
彼は背を向け紗江子たちの部屋から去ろうとした。
「あの」
紗江子は彼を呼び止めた。
「なんだ」
日村は振り向き問う。
しばらく沈黙してから。
「いえ、なんでもありません。」
と小さな声で言った。
そのまま日村は廊下に足跡を響かせ巡回を続けた。
他の人たちは部屋に布団を準備し始めている。六畳の狭いこの部屋には、三人の女性が寝泊りしている。その中の一人が紗江子で、もう一人は公(あきら)、もう一人は幸美(ゆきみ)という。
それぞれ毎日、会議をさせられるので色々としってはいるが特に仲が良いわけではなかった。必要最低限のことしか話すことがなかった。
「あと2ヶ月。」
彼女があとここにいる期間である。
「裕子・・・」
紗江子はここを出たらすぐに彼女の元へ行こうと思った。なぜそう思うのか自分でも理解できなかった。
ずっと友達だったのはたしかだ。でも上村君を取られたのだと思い、脅してまで間を引きはなそうとした。そんな彼女が一体、受け入れられるのだろうか。
完全な思い込みで、裁判でそれを見せ付けられて。あの時は、何よりも自分が嫌になっていた。
どんな顔をしてもう一度裕子に会えばいいのかは全く分からなかった。でも、それでも会いたかった。
「謝れば、許してくれるかなぁ・・・」
そのことを思うと紗江子は胸が苦しくなって、涙を落としながら日記をつけ始めた。