第1講
演習問題A
1.
 日本と合衆国の高校には、それぞれ長所と短所がある。日本の生徒はアメリカよりも良く勉強する事が多いので、日本の学校は強い。そのわけは、当然、日本の生徒は有名大学に入るために一生懸命勉強するからである。問題なのは、若い日本人生徒たちが他の学術よりも秀でた特技や才能を持っているにのも関わらず、試験に落ちたときに彼らの自尊心が傷つけられる事である。
「日本では、高校の質を卒業生がどれだけ良い大学に入ったかで決めているように見えます。」と、日本の大学生は言う。「個人の才能より集団としての能力を上げることが望まれているようです。こうした事から退学したり、何をすべきか分からない生徒が出現します。」(中略)
 日本の高校生が必ず勉強する強化は英語です。アメリカの生徒は約三人に一人しか外国語を学ばない。これらの生徒の大半はスペイン語を選び、次がフランス語である。日本語コースの数は十年間の間で増えてきている。
 外国語はふたつの国では違う方法で教えられる。日本では、文章を文法的に解析し、小さな塊へと分解していく。クイズに答えているかのように問題を答えていく。合衆国では、生徒たちは会話を多く取り入れた「コミュニケーション・アプローチ」を使っている。その結果として、アメリカと比べて日本の生徒は文法は良く勉強するかもしれないが、彼らは一冊の本でさえ読む機会が本当に少なく、恐らく話す力も劣るだろう。
 アメリカの高校生は良く何かに著言う宣したり、親や先生のような権力のある人に向かって反抗したりする。生徒たちは制服を着る機会はないので、彼らは時々、特異な服を着たり、荒れた髪型をするのである。大抵の男子は車やビデオゲームやスポーツに興味を持つようになり、女子は服に興味を持ったり長電話をするようになる。男子と女子は自由に関わり、日本であるように男女が離れて部屋にいるということはまずない。
2.
あなたが日本に行けば、録音のアナウンスがついてまわるようだ。スキーをしているときスキーレッスンや来場者数、事故の防止方法のアナウンスをよく聞く。
 車の中にはバックする時に他の車に注意を促すアナウンスが流れるものもある。日本への旅行者は能登半島を訪れたときに、とても驚いた事があった。海岸線がとても綺麗で、彼は静かなビーチを歩いていた。彼がいくつかの大きな岩の場所まで行ったとき、突然レコードアナウンスが、「危険ですので水辺に近づきすぎないで下さい」と彼に警告した。海の音に耳を傾けていてもそうなる。
 電車も同じような例がある。まず、電車の到着のアナウンスがあり、乗客に待たせ後ろに下がるように警告する。しばしば、閉まるドアに注意するように電車の乗換えなどの警告を放送する。電車が次の駅に到着したとき、人々がが忘れ物をしないようにと注意される。エスカレーターで駅を離れるときも、足元に注意するようにとのアナウンスが流れる。
 時々、外国へ旅行する日本人がアナウンスのないことに驚く。ある日本人はグランドキャニオンを訪れ、フェンスも警告も監視する敬遠の管理員も―まして録音のアナウンスなんてないことに大変驚いた。
後に、彼がロッキー山脈に行ったとき、そこも同じだと分かった。彼はアメリカ人が彼らが自分でやる事は自分で決め、人に言われるまで待ったりしないということを推測した。彼はこうした事がアメリカ人の自立心と、どんな状況にも効果的な行動ができる人間にするのだと感じた。
演習問題B
現代神話としてのスーパーマン
 普通信じられているのとは逆に、神話というのは単に神と悪魔についての昔話ではない。それがどんな時代のどんな文化でも新しい神話を作り続けるので、現代の社会でも神話は作り続けられている。ここでの広い意味での「神話」はマンガやアニメやマンガのキャラクターや他の本や映画の想像上の人物達もふくまれる。さらに、昔の神話は現代のものに直接的、または間接的に影響している。
 例えば、スーパーマンというアメリカの有名な神話は昔の神話と現代のアメリカ独特の人間性に明白に影響されている。1938年に作られたスーパーマンはアメリカで最も有名な漫画のヒーローとなり、1951年から1959年にかけて、毎週放送のテレビシリーズとして極めて人気を得た。彼は子供の頃両親を失った架空の惑星ケプロンから地球にやってきた。彼は固体をすかしてみる事ができるX線透視や超人的な能力など、数多くの超能力を持っていた。だがしかし、アメリカ人にとって最も重要なことは彼がとても早く飛べるので、世界中のどこへでも大抵一瞬で行けることである。さらに、スーパーマンは彼の故郷の惑星でのみ見つかるクリプトナイトという物質に近づかない限り、年老いたり死んだりする事はない。
 スーパーマンという神話の中に、私たちは人間の形の神の一種を見る。その神は空から降りてきて、魔法のような力を使い、助けを求める人々を助け、純粋な人々を犯罪や天災や宇宙人からまでも救う。そういった点で、彼は人々を悪魔や恐怖から救おうとしたイエス・キリストや他の宗教的な指導者と似ている。
 しかし、スーパーマンはとてもアメリカ的でもある。彼は19世紀にアメリカにやってきた何百万人というヨーロッパ人やアジア人と似ていて、遠くからやってきた移民である。彼はまた過酷な運命を乗り越えた孤児でもあった。子供のような無邪気さを兼ね備え、「真実・正義・アメリカ的なやり方」を信じていた。彼はアメリカ人の大きな夢である即座に移動できる能力を、実現させた。それはアメリカ人にとって個人の自由の最も重要な証明である。しかし、彼は世界中の弱く不幸な人々を救うためにこの地球に住んでいる。
 最後に、これはもしかしたらアメリカ人の最も特徴的な一面の話かもしれないが、スーパーマンは一般的な人、クラーク・ケントに変装しているということである。クラーク・ケントはスーパーマンとは正反対の臆病な人間で、弱い「一般人」のようだ。このように、スーパーマンの神話的な目メッセージは、例えそれが他の世界から来た人でも、孤児として育ったエイリアンでも、よくいる一般人で平均的な人こそスーパーマンかもしれないということである。そのような人は、すべての悪に対して真実と正義の為に戦わなければならないのだ。

第2講
演習問題A
1.
 女性はもっと自由であるべきだ。しかし、20世紀末、男性は女性の居場所は家の中だと思っているようである。このような考え方は女性たちに対しての犯罪である。女性たちがほとんどの事を、男性たちと同じか、もしくはそれ以上上手くできる事は既に証明されている。
 学校のクラスの成績を見て欲しい。いい成績を取っているのは男か女か?外国語の習得が上手いのは男か女か?その答えは当然いつも女である。
 男性は女性が直感的に判断し、男性は理論的かつ積極的であると主張する。だがそれは嘘である。女性はちゃんと男性のように理論的な思考と積極的な行動力を持ち合わせている。それに、女性が直感的であったらなんだというのだ。それはよりよい事ではないか。科学や技術の中の偉大な発明を見てみればいい。それらは理論なんかより直感(思いつき)で実現している。
 それに、雄(male)の考え方は世界に何をもたらしただろう。政治について例えば、男は冷酷で計算高い利己的な考え方と力の追求により、たくさんの戦争と紛争を起こしてきた。男は女性を、「感傷」に浸りすぎだとか、「ばかばかしい」哀れみを持つだとか批判する。だが、感傷や哀れみを持っている男性ではなく女性が主導者となれば、今まで男たちが創ってきた世界よりかは安全な世界を創ることができるだろう。
 雄の女性に対する偏見は、男性の恐怖心の影響がある。男は心の底で、すべてにおいて女性が男性と同じである、またはより優れていることを証明されるのを恐れているのだ。今こそ、女性たちは共に立ち上がり、これらの力と能力を証明するべきだ。女性に自由が与えられるときである。
2.
 私は高校生になるまで自分の病気に向き合おうとしていなかった。私が病気に抗おうと決心したのは、ある一人の生徒と友達になったときだった。最初、私は自分が血友病患者だということを話すべきかどうかわからなかった。もし、私について悪い事を言ったら、彼女が私のことを好きでなくなってしまうのではないかと考えた。内出血のため、私は変な歩き方をしていた。なので私は学校のマラソン大会に出られなかった。彼女は不思議に思っただろう。私は彼女に説明しなければいけないと思った。
 彼女に嘘はつきたくなかったので、私は正直に話した。「私は血友病なんだ。」彼女は冷静に、「へぇ、そうなの」といった。私はとても安心した。春になって私たちは二年生になった。ある日彼女が尋ねた。「あなたが血友病なら、HIVに感染してるんじゃないの?」彼女は家庭の医学という医療書の血友病の項目を読んだのだった。そこには、血友病患者の中にはHIVに感染している人もいると書いてあったのだ。
 私は彼女の質問に驚いた。そして何も言えなかった。私は彼女に感染している事を話したら、彼女が去ってしまうのではないかと恐れた。もし、私が本当のことを話すようになったら、その事はすぐに高校中に知れ渡るかもしれない。しかし、私は彼女のことを信用したかった。私たちは長い付き合いだったので、彼女が私の元を去らないと信じた。
 でも、やはり私は彼女が去ってしまったらどうしようかと怖かった。彼女は戻ってきてくれるだろうか。もし去られたら、私はすごく落ち込んでしまい、二度と乗り越えられないだろうと思った。
 ついに、私は感染のことを打ち明ける決心がついた。私はただ「HIVに感染しているんだ。」と言った。彼女は冷静で、「知っている」とでも言い出しそうな目で私を見ていた。彼女は今まで私がきりぬけてきたことをすべて知っているかのようだった。それに私がどれだけ話したかったけれど、話せなかったのかも理解しているようだった。
 その告白の後、私たちはもっと近づいた。ついに、私は絶望から救われた。このとき私は初めて、例え病気であろうと未来に向き合える気がした。
演習問題B
 男女が結婚すると、普通子供を持とうと計画する。だがしかし、時々、彼ら地震の子供を持つことのできない夫婦もいる。その場合、彼らは養子を持とうと計画するかも知れない。実は今日において養子は一般的である。毎年6万人の養子のやり取りがアメリカでは行われている。その中には養子を受け入れる人もいるし、大きくなった子供を受け入れる所もある。自分の国の養子を引き取る夫婦もいるし、また外国の養子を引き取る夫婦たちもいる。白人や黒人やアジア人といった自分たちと同じ人種の子を養子にする人もいれば、そうでない人もいる。いずれにせよ、彼らは同じ理由で養子を受け入れる。彼らは子供たちを養い、幸せな生活を送らせてあげたいのである。これには快適な家と、愛のある家族と、よい教育が含まれる。
 大抵の養子は自分が養子だということを知っている。だがしかし、多くの養子たちは本当の父親や母親の情報を殆ど持ち合わせてはいない。大抵、養子たちに本当の親を見つけることは難しい。なぜなら、誕生記録はほとんどの場合公開されないからである。その情報は、秘密なので、誰も見ることはできない。これが養子と生みの親を守っている。
 自然なら、養子は自分の両親について複雑な気持ちを覚えるだろう。大抵の養子ならば彼らを探したがるが、そうではないのもいる。13歳のジェイクは生後二ヶ月のときに養子にされた。彼は「私は生みの親を探そうと思うことなんて考えられません。私はもっと真実を知りたいとは思いますが、どうしても彼らを探したいとは思いません。多分彼女は酷い人で、私は落胆するでしょう。」と言う。12歳のカーラは4歳の時に養子に引き取られた。彼女の親は他の女の子も養子にもらいました。カーラは「時々、妹と話ます。彼女は生みの親は見たくないと言いました。ですが、私は複雑な気持ちです。たまに私は彼女を探したいと思うこともありますが、全く探したくなくなることもある。なぜなら彼女を見つけたときの反応を見るのが怖いからです。彼女が新しい幸せな生活を送っていて、その生活を私が邪魔してしまうのではないかと心配なのです。」と言う。13歳のシューは赤ちゃんのときに引き取られました。彼女は「養子になった子供たちは、決心がついたなら親を探す事を許されるべきだと思う。彼らは彼ら自身がどこから来たのか医学的な歴史を知る必要がある。私が産みの親の情報を探し、求めていた情報が見つけられたらすぐに、私は自分が世界でさらに素晴らしいものなのだと思った。それまでは、いつも自分の一部が欠けているような感覚だった。」と言う。

第3講
1.
 言葉は人間のコミュニケーションの媒体である。言葉なしにコミュニケーションをすることは難しいです。だがしかしジャスチャーや表情は基礎的な意思の理解は助けるが、言葉には及ばない。理想的には私たちがすべての言語を習得することで、世界中の人々と話ができるようになればいい。現実的にはもちろんそんな事は不可能である。だが、それにしても私たちは最低ひとつの言語を習得することが必要である。
 外国語を学ぶ事は重要である。なぜなら言語は他の国の人と意思疎通ができるようになるし、もっと文化について学ぶ事ができるからである。しかし、本当に外国語の習得で大切なことはもっと深いところにある。それは私たちの、文化や言語的な価値の関連性に気付く事である。このように、私たちが現実的に見ているものが唯一絶対のものではなく、私たちの価値も唯一でないと気付かされる。外国語を学ぶことは、新しい言語を習得することと、私たちの言語についてさらに気付かされるという二つの効果がある。
 ひとつの言語しか話さないことを例えるならば、ドアも窓もない部屋に住むようなものである。それは安全だが、暗く閉鎖的である。外国語はその部屋に新しい光をもたらす。基本的な知識を持っていると、新しい別の世界を窓から覗くことができる。完璧に言語を習得したならば、その部屋のドアを開け新世界の中を歩き探検する事ができる。新しい世界を探検したときに、私たちが新しい発見をしたならば、私たちの生活はより豊かに深くなるでしょう。新しい世界を探検しているとき、私たちは言語は偉大で人類の偉大な創造物だということを理解し始めるでしょう。
2.
 あなたは自分が常に体でメッセージを送っている事に気付いていないかもしれません。あなたの表情やジャスチャーは習慣かもしれません。他にあなたの周りで何かが起こった時に自然にでてしまう反応もある。
 ただ立っているだけでも、それはひとつのボディーランゲージである。真っ直ぐ立っているとしたら、それは正常だと他の人に語っている。しかしながら、もし真っ直ぐ立てていなかったとしたら、疲れていたり、病気だったり、もしくはそのほかの悪いサインということにもなりうる。
 腕も私たちの意志を伝えてくれる。ある人に向かって両腕を真っ直ぐ伸ばすことは、好意のしるしである。それは「好きです」とか「近くに来て」とか言っているようなものだ。腕を組むことは守りの体勢で、敵意を表すことになりうる。それは「自分はこのままでいますので、あなたもそのままでいて欲しいです。」言っているようなものだ。
 手は色々な方法でコミュニケーションを助ける。「手で会話しろ」なんていう人もいる。これは、人は伝えたい事をより明らかに表現するために、手にジェスチャーを使うという意味かもしれない。手を前に差し出すことは、容認や好意の表現となる。ポケットの中に手を入れていることは、興味がないという表現である。手を尻の上に置く(腰に当てる)事は、防御のしせいである。
 アイコンタクトもボディーランゲージの一種で、人が何を考えているかをつかむ手がかりである。良い例として、授業を挙げよう。生徒はたいてい、授業の準備ができていないとき講師とアイコンタクトを避ける。講師を見る代わりに、忙しく準備をしているように見せると講師はその生徒を指名しようとしない。クラス会議のときは、特定の意見を持っていない生徒は他の生徒が意見を言うまで、目をそらそうとする。あなたが誰かと会話をするときは、ボディランゲージのことを覚えていると良い。あなたが他の人の意見を理解するのに役立つ手がかりを見つけることができる。あなたもボディランゲージを使うとことによって、あなたの言おうとしていることをより明白に分かりやすく伝えることができる。
演習問題B
 1868年世界中のあらゆる地域の大量の人々が、スペイン北部のアルタミラという小さな村の近くの洞窟群に注目した。その中には石器時代の人々が洞窟に住んでいたことを証明するものがたくさんあった。洞窟の中で見つかった道具たちは骨や牙で、それらは大昔の人々が猟をしていたことを明白に表していた。彼らはバイソン(ヨーロッパで反映していた牛の全体的な系統の中の大きい野生の種族)、野生の馬や牛そのほか動物を食べるために狩っていた。その後1879年、アルタミナの名前は再び大学や博物館の中を飛び交った。それに、今回は世界の芸術家にもとても興味を持たせた。アルタミタの近くの最も深い洞窟の中に、探検家たちは古代に洞窟にすんでいた人たちが狩った動物たちのたくさんの素晴らしい絵を見つけた。現代はここ30年のうちに発明された放射性炭素を利用する年代測定法やそのほかの技術によって、20000年間も洞窟の壁に残されていた絵を見ることができます。最初にこれらの壁画が見つかってから、さらに素晴らしい洞窟の壁画が特にフランス南部、スペイン北部、アフリカ南部で発見され続けている。最も有名な洞窟はおそらく、フランス南部のラスコーであろう。その素晴らしい壁画は1940年に4人の少年たちによって発見された。
 なぜ古い絵がそんなに素晴らしいのか。まず、それらはとても自然である。動物をあそこまで上手く表現できる現代の芸術家は少ない。二番目に、20000年前の壁画なのにもかかわらず、まだ色が驚くほど良く、使い方が賢い。壁画を書いた人々は赤、茶、黄、黒、すみれ色を使っていた。彼らは、青や緑を使っていない。もしかしたら、その色の作り方を知らなかったかそれは使うと不吉な色だったのかもしれない。
 もし、あなたが壁画を見たいと思うならガイドが必要である。また、その洞窟は湿っていて汚いかもしれないので、あなたは古い服を着なくてはいけない。ランプも持っていくべきだ。壁画は大抵、洞窟の入り口から50mかそれ以上の長い道の先にある。ランプを使わなければ見えない。多分、壁画を書いた人々は火の明かりを持って作業をしていたと思われるが、燃やされた棒や単純なランプを使った跡がある。壁画を書いた人々は洞窟の入り口の近くの入り口の天気は変わりやすく、絵に良くないことは知っていた。洞窟の中に長い道があるので、絵が寒暖の差や、光、天候の変化によって傷められることはなかった。それらの色は信じられないくらい鮮やかで、当時の芸術家たちがどのように働いたかが私たちには分かる。大抵、かれらは形を書きそれから色を加えていた。時々、彼らは石に形を刻んだ。時々、上質の色の粉を作り管を通して吹き付けたりした。
 壁画家たちはよく自分の絵を他の絵の上に重ねて描いた。大昔の人々がそうしたことは幸運である。なぜならそうした幾重の絵によって、私たちは約千年にわたる彼らの芸術の発展を研究することができる。そして、これらの研究から私たちは彼らの発展について多くを学ぶことができる。彼らにとって絵がどのような意味を持っていたのかについても学ぶことができる。
 そして、何を私たちは洞窟の壁画やそれらが重ねられてかかれていたことから、私たちは何を学び取ることができるだろうか。まず、明白なのは、洞窟の壁画が魔法の効果を持っていることである。絵の中の動物たちは、洞窟の人々が狩っていたものと同じである。壁画には良く若い動物と一緒だったり、子供を生もうとしているものがいたりする。洞窟の人々は絵は本当の動物が子供を産めるようにする信じた。それが絵の魔法的効果である。そうやって捕まえられる動物を増やした。また、よく狩りに使う武器も描いた。そして、絵の中で動物のほうにそれを向けた。魔法的効果によって狩りの幸運をもたらそうとした。次に、たくさんの絵の層は、それ以前の絵が重要ではないことを表している。魔法は、どうやら、絵を描くことによってできるようだ。もしかしたら、壁画家たちは高い技術の絵を描くことによって、信頼できる霊を喜ばせなければいけなかったのかもしれない。だとすると、絵があんなにも上手い説明がつく。洞窟の人は、楽しくて書いていたわけではない。技術者達の仕事は彼らの生活に不可欠だと、彼らは信じていたのだ。
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