大好きなアニメ作品






交響詩篇エウレカセブン


ホームページ

原作 BONES
監督 京田知己
シリーズ構成 佐藤大
キャラクターデザイン 吉田健一
メカニックデザイン 河森正治
放送局 毎日放送ほかTBS系列
放送期間 2005年4月17日 - 2006年4月2日
話数 全50話
(wikiより)

 あらすじ
 セカンドサマーオブラブから命を落としてまで世界を救った、アドロック・サーストンの息子、レントン・サーストンは辺境の町ベルフォレストで暮らしていた。しかし、ベルフォレストでの生活はレントンにとっては、楽しいものではなかった。成績も悪く、クラスメイトにはからかわれる。いつしか、彼の口癖は「最悪」になっていた。
 そんな中でも、レントンは反政府組織ゲッコーステイトのリーダーである天才リフボーダー、ホランドに憧れ、いつかカットバックドロップターンという大技を決めることを夢見ていた。
 そんなある日、突然、レントンの自宅に伝説のLFO初号機、ニルヴァーシュtypeZEROが落ちてきた。そのパイロットのエウレカに、レントンは一目ぼれしてしまう。ゲッコーステイトのメンバーであるエウレカは、軍に襲われてしまい、それを助けようとレントンは、父親の残したニルバーシュの拡張パーツ、「阿弥陀ドライブ」を手に彼女の元へ飛んでいく。
 レントンのエウレカを思う気持ちにより、「悟り」を開いたニルバーシュはセブンスウェル現象を起こしあたり一面を崩壊させてしまう。
 絶対に笑うことのなかったエウレカが、レントンに対して笑っているのをみたホランドは、レントンをゲッコーステイトのメンバーに誘う。レントンはエウレカを守ることを心に決め旅立つが、彼はその先に待ちうける運命には全く気が付いていなかった・・・。

 解説
世間的定評
 非常にストーリーが深く、難解なため、あまりストーリーの本質を理解している人がすくなく、それ故にあまり「こちら」の世界では話題沸騰ではなく地味に幕を閉じたが、日曜日の朝7:00からやっていたことも助かって、一般人のほうに多くのファンがいる。しかし、オタク臭いアニメを日曜の朝にやるなんて・・・という批判の声もある(久米田康治)。
 たびたび、総集編的な特別番組が組まれ放送された。また、最終回の前の放送では、会場にファンを集め番組を紹介するというコンテツも行なわれた。そこでは、レントン役の三瓶由布子とエウレカ役の名塚佳織が出席し、声を演出してくれた。ファンの中にはホランドのコスプレをしてくるおばさんがいたwww

作品構成における工夫
 先述したとおり非常に奥深い話である。ホームページにはフィロソフィー・フィクションと書かれている。主に仏教を重視した名前や構成は「新世紀エヴァンゲリオン」を思わせる(例:ニルヴァーシュ≒涅槃)。また、様々なバンドの楽曲やら用語やらがちりばめられているが、私には良くわからない(例:セカンドサマーオブラブ)。
 メカニックは河森正治さん。変形ロボットを主としていて、オリジナルに強いこだわりがあるのでそれは作品にも影響されているが、ガンダム好きの多い世の中、なかなか認められていないようだ。何と形容したらよいのかわからないが、何か世間は理解力が足りないと思う。

絵の質
 キャラクターは比較的鼻が高かったり、外国人を思わせる顔つきをしている。とはいっても、日本語を話しているようだし、雑誌や、ニュースのモジも日本語である。この絵は多分、普通のアニメしか見ていない人にはつらいものがあるだろう。しかし、その繊細さとキャラクター性の良さは間違いないだろう。
 メカの描写に関してだが、3DCGは使いっていないようである。私は、セル画が大好きなので、そこら辺は非常に重く評価している。動きも綺麗であり、アクションシーンには感動させられる。やはり、ミサイルは交差してジグザグに飛んでいくのが良い。好みの問題だが・・・。実は初期では、ミサイルは真っ直ぐ飛んでいたが、変更されたようだ。
 驚いたことに、ヒロインの髪型が変わるのである。普通なら、変えることはないし、変えたとしてもキャラクター性が損なわれない程度であるが、完全にキャラクターに対するイメージが変わってしまうほどの変化をつけている。作中三回も変わるのである。これは、驚くべき工夫である。

本質
 この作品は、レントンがエウレカを思う恋愛物でもあれば、世界を救う英雄的でもあり、軍と闘うロボット物でもあり・・・と多彩な要素を自然に織り込んでいる(コードギアスは不自然に混ぜている)。しかし、結局何が言いたかったかとなるとそれは主人公の成長である。レントンが様々な決意を胸に持ち、自らの手で栄光をい勝ち取るまでの成長記録である。レントンに限らず、エウレカも同じである。人間に対する触れ方の分からなかったエウレカはレントンと関わることにより、人間らしい心を持っていくのである。ホランドやタルホも同様に必ず変化がある。そういうところで、この作品は小説的といえよう。


「さぁ、うけとってくれー」
って一度やってみたかった。


げんしけん


ホームページ

これは最高の青春作品です。なんだかオタクにしか分からないネタもてんこ盛りですが、それはそれとして青春が楽しめますね。特にオタクカップルの。
最初は、友情を深め合う事から始まるんですよね。なんともいいではないですか。
そしてある程度関係が確立したところで、恋愛関係の話しに持っていくと・・・。
てか、女オタ率高いよな。大学ってあんなもの?
とにかく、細かい表現や心情にどんどん引き寄せられていきますよね。
一期はほとんど咲さん中心でした。斑目が滅茶苦茶かわいいのは俺だけ?
いや、ほとんど人が一番かわいいのは斑目だと思っているな。確実。叶わない恋と思いながらそっと見ているだけ。なんか考えようによってはキモイけど、どうしても感情移入してしまう。別に好きになってしまうのに罪はない!
大野さんもかわいいよな。なんというかあの体型というよりかは、のほほんとした感じとか、時々熱くなるとことか、やおい地味に隠そうとしていると事か。
でも、やっぱりあの服の胸のしわは見入ってしまうものがあるが。
でもでもでも、やっぱ大好きなのは荻上〜。もち、主人公(だよな)の彼女だから…。
まったく、俺はどこまで普通ヒロイン好きなんだ。
なんというか、あのおどおどしたとことか、テンパるとことか、ツンツンなとことか、もう全部好き!
どうか、幸せになってください。トラウマなんかに負けるな〜!
ささやんサポート頑張れ、へたれるな。なんて応援しても完結してしまったが。
だめだ、なんかファンの文章だ、意味がない。
というわけで、荻さんに愛を込めて!




エレメンタルジェレイド

 以外と、人気が高い作品。
 俺はアニメから漫画に逆輸入した。
 人間と、武器に変身できるエディルレイドのいるファンタジーな世界を舞台に、戦闘を繰り広げていく作品。
 なんて説明してもウィキを見れば書いてあるからあまり詳しく説明せず感想を。
 アニメ版は最初の方はストーリーがグダグダでなんか見る気が起きなかったのだが(スクールランブルの後だったから見てた)、後半フィロが出てくるあたりからはどんどんテンポが良くなってきて、感動のラストー。という感じ
 全然分からないですか・・・
 そこまで作画もうまいというわけではないんだけど、キャラクターのみせ方がうまいよ。ストーリー面でね。
 一番好きなキャラはグレイアーツ君です。カッコイイ!好きな話もグレイアーツが出るところ。
 漫画版とは結構相違がある。いわゆる、アレンジ。そしてラストはまったく漫画とは違う方向に行ってしまった。
 アニメはレンが謎の声に呼ばれたからエディルガーデンに行くという設定だったけど、漫画は会いたい人がいるからという設定だし。グレイアーツ君と闘う場所も飛行機の上と船の上で全然違うし。漫画版だとグレイアーツとココウェットは飛んでないし。・・・ココウェット殺されちゃった・・・。かわいそうに。
 漫画は最初は面白いんだけど、アニメとは逆でフィロがでてきたあたりで話がどんどん重くなっていって、ダラダラと二巻にかけて同じ場所で闘ったりしてるから、下降気味ですよ。それに、負けて帰ると必ず仲間に殺されるし。
 でも、グレイアーツ君はなんと生きているのです。腕は取られたけどね。「まだ、俺の歌は届かない・・・」
 どうも、漫画版のグレイアーツはジェレミア卿を思わせるところがある。負けてかわいそうで、大好きなキャラで、復活しそうなんだけどでてこない。
 今後の、展開に期待!





N・H・Kにようこそ!




この作品は実に小説しかないときからファンでした。
といって、別に何の優越もないですがね。ないです
学校の図書館(うちの学校は図書室じゃないね)に中一のときハードカバーを見つけた・・・どう、見つけたのかは覚えてませんが。
まず、タイトルからして怪しさをかもし出していたけれど、まぁ普通にNHK放送についての本だと思ったんだと思います。
しかし、ハードの表紙はなかなかいい絵だし、やっぱり何か違うオーラがありましたよね。
中身を読んで唖然としました、何だこの超ネガティブな主人公(著者みたいなもの)は――なんて悲しい奴だ。そして面白い。
後に著者のエッセイも読みましたが主人公よりも酷いですね。考え方とか。ハゲとか。
あんまりにも嵌ったものだから、好きな本を紹介するという国語の授業で、紹介しようとしましたよ。ええ、しましたよ。
二人ずつ、出席番号が後から(じゃんけんで勝った)二人ずつ紹介することになっていて、最後はあまるので三人で紹介することになりました。因みに赤槻は三番。
そしたら、どうですか?出席番号1・2・3で、おなじ「NHKにようこそ!」を紹介しようとしているではないですか!
最初は、三番で成績微妙の凡人。赤槻。
しかも、二番は成績優秀の委員長。赤井(仮)ちゃん。男ですが。
さらに、一番は成績最下位の天才(?)。相田(仮)君。男です。
おいおい、良い本は誰が読んでもよい!ということがいいたいわけで。
しかも、相田君、「ん?俺、漫画しか読んだことない。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・さすが
とにかくそんな思い入れの深い本でした。エースで漫画かされましたね。
メディアミックスおめでとう!作者のゆめですからね。あーてか小説書かなくなったら仕事してんのか?いな、していない(←反語)
というわけで、漫画化されて、んまーなわけですが、なんとアニメ化までされるとは思いましたけど。
しかし、大好きなGONZOさんのところでアニメ化なんて、内容からして必然的といえば必然的ですが、願ったり叶ったりですよ。
きっと滝本さんもGONZO好きなんだろうな。まぁ、確実にNHKは「いいゴンゾ」だったよね。最終回の演出や作画なんてなくかと思った。とんでもない綺麗な雪景色。
それ以外の話も良かった。まぁGONZOは「作画だけアニメ」だしそのぐらいやってくれないと、無価値になりますから。
グッズもいくつかあったけど、金がないから買えませんな。
色々な、アニメ界の著名人が参加していたらしいけど、どうも人名には疎くて分からん。
「ウィッチブレイド」てパソコンにあるのを教えてもらったときには驚いた。
ぜひ一度、ネガティブなら見てみるべき。



ギャグマンガ日和

 そろそろ、自分でもこの文章はウザイと思い始めてきた。
 でも、コンテンツを作ると決めたんだから初志貫徹しなくては。
 とてもテンポの良い会話でギャグを連発してくるから、もう笑いが止まらない。
 ジャンプ連載、作品なので、知名度は高く人気層も一般人に集中しているが、いろいろアレな後輩が大好きなので、エロゲ好きでもいけるらしい。(どんな解析だ)
 特に好きな作品は、1期の「終末」(YouTube)「ハリスインパクト 乗り込み編」(YouTube)である。あと、3期の「サンゴットV オープニングテーマ」(YouTube)である。――必然的に一台あまる・・・――が面白くて仕方ない。
 そんなこう馬鹿ですが。馬鹿ですがよろしく。

P.S.鑑賞文を書いた後なので、文章が「だ・である」調
P.S.2.お風呂上りに耳掃除をすると湿ってる。
P.S.P.ノリが自分でもよく分からない




さよなら絶望先生



 絶望先生面白いですよね。
 もうこれは説明なしに強制的に面白いですよね。
 こういう、なんというかオタクネタが多い作品は大好きです。「ニニンがシノブ伝」なんかも好きです。てか、最近のアニメ世代は見てないみたいですが・・・。
 分かる人にしか分からないネタってのは結構きわどいですが、それをうまくまとめるのはやっぱり監督さんの力量なんでしょうね。
 久米田さんの原作漫画は主にシュールギャグとシモネタですが、作者のオタク的要素がふんだんに盛り込まれていますね。てか久米田さんレモンエンジェルの切抜きを作ってコレクションしてたとか言ってもやばさが全くわからないだろ。
 もともとの作品がああだからというのもありますが、やっぱりアニメ版は新房監督の影響でしょうね。
 本当に黒板ネタ楽しい。
 久米田さんの話(オトナアニメ掲載)によると、アニメ版のパクリネタなどにはあまり関与していないそうです。そもそも脚本とか協力はしていないらしい。二期の七話なんか滅茶苦茶フリーダムでしたし。

 やばいですね。新房さん大好きになりそうです。

 ひだまりスケッチ×365の中にこんなシーンが。

ベホイミ「これは大いなる謎だよ、チョコ山君」
 うけたwww


電脳コイル





 この作品の最終回で俺は、百合妄想をする人の気持ちが理解できてしまった…。否、人のせいにしてはいけない。自分がしてしまったのである。恥ずかしながら…。この二人には本当に幸せになってほしい。
 まぁ、今回は単なる感想ではなくて、ちょっとした見方に気づいたので書いてみる。でも、考えあまりまとまっていないのでよろしく。


電脳コイルでの神社の意味(草案)

 この間、電脳コイルを見ました。かなり面白かったです。
 今回は、その世界観について思ったことを少し語りたいと思います。

 電脳コイルは、「電脳メガネ」という道具を用いて、電脳技術が普及した近未来を舞台としている。しかし、舞台の中心となっている大黒市では、電脳世界の特別特区であるにもかかわらず、その近未来的設定に相反するように神社というものが多く存在している。そして、第一話からその存在は非常に印象的に描かれており、物語の複線となっているのだ。
 説明が前後するが、電脳世界というのは通常現実の世界とはまったく隔てられた虚構の世界であるという考え方が一般的である。しかし、本作のシステムとしては現実世界がサーバーに読み込まれ、そして現実世界の上に電脳物質の情報を書き込むという構造になっている。このことから、攻殻機動隊にあるような、過度にコンピューター上の情報が重要視される、いわゆる「デジタルデバイド」という現象が発生しているわけである。つまり電脳世界が現実世界よりもより真実性を帯びることとなる。しかし、本作では現実世界を蹂躙している電脳世界をさらに支配する形で、「神社」というものが設定されている。これは人間の作り上げた最先端の物を制御する、さらに上の存在である「神」の存在を示唆している。作中の説明でフミエは「縦割り行政ね。郵政局のサッチーは、仲の悪いお役所、たとえば、文部局とか文化局の縄張りには入れないのね。」と語っている。つまりフォーマットサーチエンジン(2.0も含む)は郵政局の管轄なので、文化局の管轄である神社、学校には入って来れないそうだ。非常にユニークな設定である。このことからも神社が作中では神秘的な意味を成すのである。また同時に、学校にも入って来れないのでそこに一種の閉鎖的空間が生まれ、子供同士の対立を作りあげているのである。
 そもそも、われわれ日本人にとって神社とはどのような存在であるのだろうか。神社というものは、必ず本堂(本堂が存在しない場合も多いが)にたどり着くために、長い石段を登る必要がある。それはそれ自体が神の御許に近づくための神聖な行為であってわれわれを神聖な気持ちにさせてくれる。到着すれば鎮守の杜が控えており、心地よい空気と景色を与えてくれるのである。神社というものは「神」という存在を奉ることは殆ど、その場所にたどり着くためにわざわざ登るという行為が重要なのであり、言ってしまえば苦労をせずにロープウェイで登ってしまう神社など何も意味がない。その苦労する過程(プロセス)が重要なのである。この辺のことは「かみちゅ!」を見て思ったことなのだが。このことが、さらに電脳コイルの世界とリンクしてゆく。 終盤、ハラケンはカンナのメガネに入っていた道のデータ通りに、歩いてみる、そうすると古い空間に出るのである。このことこそまさに、道(=プロセス)によって古い空間(=神社)が発現するというこの構造とまったく一緒である。最終的には神社はあまり重要な意味を成してはいなかったが、中盤までの神秘性のある世界観を非常によく演出してくれる重要な存在であったといえる。
 電脳世界のような認識が支配する世界を、何らかの「理解不能な」規律をもって存在している不思議な神社、神のイメージと重ね合わせることにより、イリーガルや古い空間、都市伝説といったユビキタス社会には信じがたいものに血を通わせているのである。


やる気があったら、もう少しまとめようと思うけど…




戻る
2007 赤槻春雄のサイト